自分の部屋の扉を開けるとそこには、ツインテールの少女がいた。右手には包丁があったがそんなものは目に入らなかった。
少年はまず、ここが自分の部屋であることを確認する。小学生の時からの付き合いである学習机、散らばった参考書にパイプベッド。間違いない、自分のものだ。
核心を持った少年は、やっと少女に話しかけた。

「…君、誰?」

少女はワンテンポ遅れて反応した。俯き気味で隠れていた顔がようやく見える。
整った顔つき、浮かべられた笑み。正に美少女と呼ぶに相応しい容姿だった。

「何言ってるのお兄ちゃん、私のこと忘れちゃったの?」

鈴が転がるような声。容姿と声の合わせ技のお陰か、少年は彼女の台詞を把握するのに予想以上の時間がかかった。
ようやく彼がこの有り得ない言葉に気付いた時、少女は少年を抱擁していた。
自分に兄弟も姉妹もいない。じゃあこの少女は誰なんだ?疑問が彼の頭を過ぎる。その間にも包丁は彼の首に当たっていた。

「お兄ちゃんびっくりしてるね、あの女と一日中一緒で疲れちゃったのかな?
でも安心して、私、お兄ちゃんを癒してあげるいい方法を思い付いたんだ」

語尾に音符を付けてもいいような軽快な話し方。まるで今日のおやつは何にしよう?と聞いているようだ。
しかし首にあるひんやりとした感覚が彼を冷静にしていた。
それに、彼はあの女、に心当たりがあった。最近付き合い始めた恋人と今日はデートをしてきたのだ。疲れたが心地良い疲労感だった。
どうしてそのことを、妹と自称しているとはいえ他人の少女が知っているのだろう。硬直したまま何も話さないでいると、首の冷たさが消えた。

「私、お兄ちゃんのことは全部知ってるよ。お兄ちゃんが食べたものとか、お兄ちゃんのメールとか、お兄ちゃんの話したこととか…。あの女の知らないことも全部全部全部!でもお兄ちゃんは私に気付いてくれなかった…!揚句の果てにあんな女と付き合い始めて!お兄ちゃんは私のものなの、お兄ちゃんのことをわかるのは私だけ、お兄ちゃんは私だけ見てればいいの!」

余りに過激な言葉の数々に頭が理解することを放棄した。しかし少女がポケットから出した写真は嫌でも脳が理解する。
食事をしている自分、ゲームをしている自分、散歩をしている自分…。いつのものかがわからないぐらいの数の自分がそこにはいた。
ストーカーだ、筋金入りの。
逃げようと判断したが体が動かない。目の前には包丁を持った自称妹が、美しい顔を歪めて笑っていた。
ああ俺はこんなストーカーに殺されて一生を終えるのか、もうちょっと親孝行でもしておくんだった。
少年は生きるという選択肢が既に目の前の少女によって奪われたと悟っていた。
目の前の包丁刃渡り推定20センチ弱。腹に刺されば出血死確定。
せめて痛みを感じないであの世に行きたい。そう思っていた矢先、信じられないことが起こった。
少女が服を脱いでいる。下着姿の少女(ただしやっぱり包丁装備)は先程と変わらぬ笑みを浮かべ、笑っている。

「あのね、私、お兄ちゃんの子供が欲しいの。お兄ちゃんが子供産ませてくれるなら、お兄ちゃんのこと殺さないであげる」

え、これなんてエロゲ?
出るとこは出て、へこむところはへこんでいる体型。おまけに美少女。
彼は自分が殺されるかもしれないという数十秒前のことを忘れていた。
据え膳食わぬは男の恥。ただ、理性の方はしっかり物事を考えていた。性病を持っていたらどうするんだ。エイズの可能性だってあるんだぞわかっているのか自分。

「お兄ちゃん…お兄ちゃんは私のこと、きら」

台詞は途中で切られた。
音速かと思うほどに素早く開いた扉。扉の前に立っていた少女は必然的にふっ飛ぶ。それでも包丁を離さなかったのは流石と言えよう。
少年はふっ飛んだ自称妹から扉を開けた人物に視線を移す。そこには、

「…何してんの?」

数時間前まで会ってデートをしていた彼女がいた。
彼女は唖然としている少年を眺めた後、扉を閉めて部屋に入ってきた。ようやく下着姿で倒れている少女に気づく。
一瞬の空白の後に、素早い蹴りが少年を宙へと飛ばしていた。繰り出したのは彼女だ。笑みを浮かべているが、明らかに怒りを孕んだ笑みだ。彼女の笑顔が少年には般若に見えた。
彼女は少女を起こす。

「大丈夫…?」

じろりと少年を睨んだ後に彼女は少女に話しかけた。明らかに襲われていたと誤解している。だが、本当は襲われかけていたのだ。
少年が伝える前に、彼女はそのことを身を以て知ることになる。包丁の切っ先が彼女の髪を掠る。
髪だけで済んだのは包丁が向かってきた瞬間に彼女がのけ反ったからであった。状況の把握は彼女の方が早かった。すぐに少女に枕を投げ付け、その上に掛け布団を乗せる。

「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!!」

狂気のストーカー(自称妹)を布団で封印した彼女は真顔で呟いた。

「いつ、こんな兄弟ができたの?」

知らぬ間に、とだけ少年は答えておいた。
さあ警察に通報せねば、善良な一般市民としての義務を少年が果たそうとしているとげほげほと布団の中から咳が聞こえてきた。
酸欠で死亡されると困る。彼女はビニール紐で少女の手足を素早く縛った後に布団から解放してやった。

「あなたは誰?なんでこいつのことを妹って呼ぶの?」
「あんた誰よ?!」

疑問に疑問で返された。話にならないと思ったが諦めずに彼女は話しかけ続ける。大きく深呼吸をし、自分を落ち着けた後に柔らかい声で言った。

「一応、彼女みたいな感じなんだけど…」
「違うわ、お兄ちゃんの彼女はあんたじゃない!もっと背が高くて髪が短い女よ!」

彼女が硬直した。その間も少女は話し続ける。写真の内、一枚を取り出してこれよ!と叫んだ。
確かに彼女とは全く違う女の子が、少年の隣で腕を組んで歩いている。長い沈黙が部屋を包んだ。

「お嬢ちゃん、ちょっとその包丁貸して」

有無を言わせぬ声色に、少女は大人しく包丁を差し出した。受け取った包丁を片手に彼女は少年のところへ向かい、軽く肩を叩く。
振り返った少年に向かって彼女は眉間すれすれのところに包丁を立てた。

「ねえ、どういうことか説明してくれる?」

包丁と一緒に差し出されたのは浮気の証拠写真。
ああこの長い夜はまだまだ続くのだろうかと少年は一人腹を括り、目の前の彼女と少女を見つめた。
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