久々に実家の近くの温泉宿に泊まった。私と、幼なじみ二人で。一人は巫女さんに、もう一人はお坊さんになることを決めたのだが私はまだなりたい職業が無い。神も仏も信じていないし、大体そういうの苦手だし。だからちゃんと自分を見つめ直す為の旅がしたかった。
二人は酒で潰れて寝ている。私は旅行者であるという青年とロビーで意気投合して酒盛りをしていた。まるで小さいときから一緒にいたような感覚だ。巫女も坊さんもそうなのに、なぜか特別な気がしてならない。…口に出すとまるで好きだと言うようで、言わなかったが。

「そういえば君はここで育ったって言っていたけど、若くして散った遊女の話は知っているかい?」

彼の柔らかいもの言いはとても好きだ。私は首を横に振った。そんな話は聞いたことがない。歴史があまりない土地だと思っていたし、昔話をしてくれるような祖父母もいなかった。跡を継いで神と仏に仕える二人なら知っているかもしれないけれど。

「じゃあ話の種も尽きてきたし、話そうか?」

その前まで私はやりたいことが無い、ずっと学生でいたい、などと我儘ばかり言っていて少々恥ずかしくなっていた。是非聞いてみたいと頼んだのは、話を聞いている間ならそれを忘れられると思ったからだ。
彼は目を細め微笑んだ後、少し芝居がかった声で話し始めた。

昔々、とは言えども東京が江戸の頃、一人の遊女と農民の青年が恋に落ちていた。その遊女の扱いは江戸の遊女とは比べものにならないぐらいの悪いものでね、女を売るというのがここでは最低なことだと思われていたんだ。男が買わなきゃそんな商売、成り立たないのにね…。
青年は遊女をいつか自分が買ってお嫁さんにしようと思っていた。彼女が自分からこんな最低な世界に入ったのではなく、平和に過ごしていたのが急にさらわれて売られたと知っていたからね。青年は頑張って働いた。遊女も少ない給料を青年に渡して、いつかそこから逃げ出すという夢で自殺せずに頑張っていた。
でも、ある日急に青年はやって来なくなった。二人は店の中なんかではなく、橋の下で夜会っていた。当然遊女は待った。でも青年は来ない。遊女は最初こそ青年のことを信じていたんだろうね、でも一年が経った頃には彼女はただただ絶望していた。
青年は何をしていたのかって?奉公に出されていたんだよ。その先の主人が青年の働きっぷりを気にいって、自分の娘と結婚させたいと言ってきた。青年は勿論断ったさ、将来を約束した人がいるのだから。でも彼の親が勝手に結婚させた。
無理矢理契りを結ばされた青年の話はやがて遊女の元にも届いた。ああ、私は所詮遊女だったのだ、彼女は手紙を書いて入水自殺してしまった。
何年か後、やっとのことで奉公先から逃げ出してきた彼は彼女が死んだことを知らされる。それと一緒に渡された手紙にはただ一言、次の世界で逢いましょう。
自分のせいで愛する人を失った彼の苦しみは言い表すことのできないものだった。彼も同じように入水自殺をしたんだ。せめてあの世で結ばれますように、と。

重い話だった。でも私は遊女の気持ちが痛い程理解出来たし、青年の苦しさもわかった。本当は遊女だってずっと信じていたかったのだ。だけど時間が長すぎた。堪えられる長さはとっくに超えていた。
…どうして私はそんなことがわかるのだろう。首を傾げる。そんな私を不思議に思ったのか彼はどうしたの?と聞いてきた。私は何でもないことを伝える。

「でも、泣いてるよ?」
「え、嘘!」

目元を触れば確かに濡れていた。ハンカチを取り出してすぐに拭く。けれど涙はぽとぽとと落ちて止まることを知らなかった。
おかしいなあなんて笑おうとしながら涙を拭う。すると急に目の前の彼に抱きしめられていた。内臓的な何かが口から飛び出るかと思う程驚いた。

「あ、あの…ちょっと…!」
「ようやく思い出した?」

何を、だろう。動きが止まった私の肩を彼が掴む。顔が至近距離にあったけれど、いつの間にか緊張と恐怖が私を包んでいた。
怖い。逃げなくちゃ。嫌なことが起きる気がする。助けて、巫女に坊さん!
けれどやっぱり二人は寝ていて、ああいつもはザルのくせしてどうしてこういう時だけ弱くなんのよ!

「折角二人は僕から君を遠ざける為に聖職に就くのに、無駄になっちゃったね」
「…どういう、意味?」

彼は笑った。笑って、私をまた抱きしめる。先程と違って、体温が全くなかった。冷たい、のレベルを遥かに超えている。人じゃない、人にしたって生きているわけがない。

「前は僕が死んで君が生きた。今も僕が死んで君が生きている。どうしてうまくいかないんだろう。どうして一緒に生きることも死ぬことも出来ないんだろう。前はあの二人が邪魔をした。神父とシスターになってね。けれど今は酔い潰れている。」
「だから何を…死んだって一体…!」

予想がついてしまった。嫌な予想が。目の前の彼は既に死んでいて、私は彼と謎の縁があって、私はもしかしたら…命を狙われているのかもしれない。

「本当はわかっているんだろう?今のは君の話で僕の話だ。君は僕を待たずに死んでしまった。前世で次こそ、次こそはと願っていたのに今世も僕は死んでしまった。」
「前世とか…わけわかんないし私はそんなこと覚えてなんか」
「本当に?」

本当は思い出していた。
思い出したのではなく知っていた、の方が正しいのかもしれない。水に入った時の温度、肺から何から水に侵される感覚、そして何よりも私を追って死んだ彼の存在。
私の足は勝手に浴室へと向かっていた。水は何故か溜まっていて、後は頭を突っ込むだけだった。彼に体を抱えられ、私は水の中に入る。息が出来ない。まただ。また私は死ぬのか。やりたいことも見つけられないまま?ああ、次こそちゃんと生きたい。私が私である理由を見つけたい…。

「では、次のニュースです。温泉宿で女性が自殺。浴室で溺死しているのが友人によって発見されました。警察は女性が日頃自分の生き方について悩んでおり自殺したと考えています。将来の不安で命を絶つというのは今の政治や経済について不安があるからなのかもしれません…。」
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